レジェンド逝く…。鉄人、衣笠祥雄さん、お疲れ様でした。
昨日、まさかの訃報が…。
「広島の鉄人、衣笠祥雄さん死去」
あまりに突然でした。
数日前の野球中継で声がかすれながらも解説されていたらしくその様子から心配する声を僕もtwitterで見ていましたがまさか亡くなるとは思ってもいませんでした。
衣笠祥雄さんとはどんな選手だったのか。
1965年に広島へ入団。
その打撃力を活かすために捕手から内野手へ転向、その後は豪快なフルスイングでホームランを量産。
三振やデッドボールも異様なほど多かったですがそれは積極的なバッティングの向こう傷的なものでもあったはず。
巨人西本投手の投げたボールがデッドボールになり肩甲骨を亀裂骨折。
翌日、代打で出場しフルスイング三発三振したのは有名な話です。
僕は肩甲骨を骨折した経験がありそんな状態でバットをフルスイングするなど考えられません。まさに鉄人。
さらに2215試合連続出場の現在世界2位の記録。
当時は世界記録でありこれで国民栄誉賞を受賞。
どれも凄い記録です。
衣笠選手の意外な記録、そして素晴らしい気づかいの精神
素晴らしい選手であることには変わりないですが僕が特に凄いと思うのは影に隠れている記録です。
通算500本塁打以上を記録している長距離打者にも関わらず盗塁が250以上(盗塁王獲得の経験もあり)、犠打(送りバント)が80以上と足も早く、チームバッティングもできる凄い選手でした。
さらに衣笠さんは非常に紳士的な性格でデッドボールが多いにも関わらず当てた選手に怒るどころか気づかいすらしていました。
あの器の大きさは真似できるものではないです。
その気づかいは解説者になってからも変わらず常にえこひいきなしで対戦チームのことを分かりやすく説明してくださり健闘を讃えておられました。
数年前、当時勤めていたヘアサロンでお客様との会話で「衣笠かノムさん(元ヤクルト、楽天監督の野村克也さん)が監督やってくれりゃえぇよね~」と話していたのを思い出します。
当時はまだカープは弱くBクラスばかり。
ようやくCS(クライマックスシリーズの略称。日本シリーズ出場権を巡って1~3位のチームがトーナメント方式で戦う)に出られるようになったばかりの頃でした。
おそらく多くのファンが衣笠さんの監督姿を見たい!と思われていたと思いますがその願いは叶わず仕舞いでした。
僕もぜひ見てみたいと思っていた1人でした。
衣笠祥雄さんの精神は次世代の選手たちへ
心残りは正直あります。
しかし、衣笠さんが残したものはずっと残り続けるはずだと思っています。
ずっと優勝できずに来たカープの連覇を最後見て逝かれました。
次は1984年以来の日本一を。
ありがとうございました。
そしてまたいつか天国のレジェンドたちの試合を見れることを信じています。